障害者保健福祉部 機関紙
第10号 “まぁ よんでみて”に関するご意見・ご感想は
障害者保健福祉部 (disabled@physiotherapist-osk.or.jp)までお願いします ※ スパムメール対策のため「@」を全角で表示しています。 メール作成の際は半角文字に修正の上ご送信ください。 |
発行:(社)大阪府理学療法士会 障害者保健福祉部 〒540-8790
大阪市中央区常盤町1-4-12-301 TEL. 06-6942-7233 印刷所:身体障害者授産施設 大阪ワークセンター 〒594-0031 和泉市伏屋町 5-10-11 TEL. 0725-57-0883 |
作品名:「浮御堂」 作者名:高畑 紀和 |
脳卒中友の会「ほがらか会」作品 老い二人ひとり一人の夜長です 香西 香子
夫婦して仲良く風邪を分かち合う
大橋 貴美子
写経する亡き母の匂いに会いたくて
百瀬 百子
お年玉小さな希望かなえたか
庄村 弥馬
野里 猪突 選 |
創刊10号記念特集 |
理学療法士として、患者様を治療していく上で要求されるのは、症状を改善させる技術だけでしょうか? 今号では、脳血管疾患・脳性麻痺・頸髄損傷の方に、理学療法士に何を望むか、率直な意見をいただきました。 |
いきいき友の会 会長 藤崎 和夫 |
|
私は、平成三年脳幹部梗塞で救急入院、意識回復後は全身麻痺状態で、リハビリテーション開始が非常に遅れ、やっと開始した平行棒も、筋肉の衰えと両手の麻痺で平行棒が握れず立ち上がれない日々が続きました。二週間が経ち、駄目かと気力をなくした私に理学療法士の方から励ましの声をかけられ、力を得て、数日後に立ち上がれたとき思わず声を出して泣き出しました。『頑張ったね』の声に振り向くと温かい眼差し、この支えられた思いがその後の闘病生活に大きな力を頂いたことを思い出します。
退院後、脳のダメージは歩行、言語に障害を残し苦しい日々でした。支援は、週一回外来で受ける三〇分間の理学療法で、通院には車椅子で、自宅から最寄り駅までタクシーさらに電車タクシーと乗り継いで病院、待ち時間を経て三〇分間の指導を受け、逆コースで自宅へと疲れて帰宅、三〇分間の指導を活かすべく訓練の後に宿題を聞き自宅で努めたが、回復は遅々として進まず、努力が空しく感じることもあった。こんなとき訓練中の何気ない励ましの言葉が力でした。
平成六年、同じ障害を持つ者が集い交流すれば、連帯感が芽生え孤独から脱し自立心がもてると、介助を必要とする当事者と介護者が中心となり自主友の会を結成して十年になります。障害者同士の親睦は、仲間意識を強くし、競争心さえ誘発、地域行事へは敬老会にハンドベル演奏で参加するまでに発展し、支援される立場が支援する役割を果たしました。介護者同士の情報交換もよき理解者、応援となり、障害者が励まし合う自主活動ならではの活動ができました。
(1)老化対応(障害者会員の) 障害を持つ会員も高齢化し、要介護区分が変更しないように体力を維持する取組みが必要になってきた。昨年から介護保険が介護予防(*1)に力点が置かれるようになりましたが、まだ介護保険施設のデイサービスは、老化に対抗しえる訓練等に及んでいないのが実感です。個々に対応した訓練を受けられますようご支援ください。 (2)新会員支援 介護保険開始後、友の会の新入会員は減りました。介護保険のデイサービスは、朝送り出せば夕方には家まで送り届けてくれる。一方、我々の友の会では、介護者が送迎し見守る手間があるため敬遠されているのが実状です。会合中は他の参加者と比較して本人のやる気、介護の問題点を知る良き機会、介護者同士の情報交換のチャンスです、この機会を失う人や、知らない人は残念です。行政の機能訓練教室は「身体のリハビリ」、友の会は「心のリハビリ」と補完関係にあります、元気に回復する仲間が増えますよう友の会の紹介をお願いします。 (3) 未だ遠しバリアフリー 交通機関のバリアフリーは進んできましたが、車両とプラットホームの段差でまだ支援が必要です。最近はモノレールで段差解消のため先頭、最後尾出入扉は、各駅ともスロープをつけ車椅子用と表示されています。しかし、設計時にプラットホームを8cm高くしておけば全扉車椅子仕様になったはずであり、設計の段階で障害者の視点が見逃された事が残念です。こんな問題は随所にあります。ぜひ、専門家の理学療法士の視点で観察し、行政や交通機関への助言を行い、バリアフリーの積極的な推進を願うものです。 いきいき友の会 http://tia-net.com/ikiiki/ *1:介護予防とは1)高齢者が要介護状態になることをできる限り防ぐこと 2) 要介護状態になっても状態がそれ以上に悪化しないようにすることであり、予防重視への取り組み |
|
川原 奈津美 |
|
はじめに 現在私の息子は、養護学校の中学部一年生です。ミキサー食と鼻腔チューブからエンテルードを注入、痰吸引の医療ケアをしながらもほとんど体調を崩すこともなく学校に通い、先生方や友達、いろいろな人に支えられ、また関わりを持ちながら楽しい日々を過ごしています。そんな日々の中で、自分ではまったく身体を動かすことのできない息子にとって欠かすことの出来ない「リハビリ」について何が必要なのか考えてみたいと思います。 これまでの歩みを振り返って 息子は1991年の春、桜が満開のころに重症仮死(アプガースコア5分後 2点)という状態で生まれました。まもなく、けいれんを起こし低酸素による「くも膜下出血」「硬膜下血腫」という診断を受けました。 予断を許さない日々の後、退院はしたものの哺乳ビンの乳首になかなか吸い付けない、体が常に緊張して眠らない、抱っこしても体がつっぱり泣いてばかり・・・。一日のほとんどが息子の世話に明け暮れて、先が見えない不安と疲労で今思えば一番辛かった時期だったかも知れません。 生後六ヶ月頃、「この子には、身体を積極的に動かすことが必要なのでは?」と感じすぐにSセンターへの転院を決めました。そこで出会った理学療法士さんが、今現在もS病院で担当してくださっているF先生です。先生は、私と年齢が近いせいか(何でも受け入れてもらえそうな人柄のせいか?)私も身構えることもないまま、困っていることや気になることを相談できたと思っています。 リハビリを受けている息子は大泣きしているのに、横にいる母親である私は気がつけば笑っていることもしばしば・・・。子供は身体を、親は心をリハビリしてもらっている、そんな感じかもしれません。また、F先生以外の理学療法士さんも、息子に「元気にしてるかな?」と気さくに声をかけてくださるので、当時週に2〜3回あった通院も全く苦にはなりませんでした。これはとても大事なことで、連れて行く親も何となく居心地が良いので「体操に行こうか?」と遊びに行くような感覚です。『でも行けばしっかりストレッチ・・・「お母さん、それ サギやん」と息子が言っている感じ』逆に「行かなくてはならない」というような義務的な感覚にならなかったのが、今も週一回のペースで通える理由かも知れません。また、親ばかりでなく息子の弟達も一緒について来て、傍らで遊ぶのが大好きでした。弟が「お兄ちゃんだけリハビリしていいなあ〜。」の一言には親として複雑な心境でしたが、やはり彼らにとっても居心地が良かったのでしょう。 子供の背景にあるもの 今もリハビリに行くと息子をはさんで私とF先生は実によくしゃべります。(よく言うと、会話が弾みます。)一週間に起こったことや感じたこと、もちろん健康状態や学校での様子も含めて、ジャンルを問わずいろいろな話をします。(聞いてくれます。)こういうこともまた、とても大事なことで、先生は話の中から息子の後ろにある事柄を丸ごと感じ取ってくれていると思っています。たとえば「今は文化祭の練習中で・・・云々」というと「だからやな?イスばっかり座ってたら硬くなるよ。」と忠告の一言が・・、そして私はこれを受けて次の日の学校の連絡帳で「なるべくイスからおろして身体を動かすように心がけてください。」と学級担任にお願いできます。息子にとっては、リラックスして気持ち良く授業に参加でき、またそのおかげで給食も上手に食べることができるという様に生活の質も向上します。どんな場合でもそうであるように、患者やその周りの人と十分なコミュニケーションを取ることはとても大切なことなのではないでしょうか。私はそう感じています。 最後に、息子も思春期の入り口を迎えたばかりで、身体そのものや体調がどう変化していくのか、養護学校を卒業した後の生活がどうなるのかはわかりませんが、地域のデイサービスを受けたとしても、施設に入所という形になったとしても、息子を中心において療法士さんを含めいろんな方々と連携をとっていくことを大事にしたいと思っています。 |
全国頚髄損傷者連絡会 会長 小森 猛 |
|
今年の十一月三十日にスポーツ事故で頸髄損傷者となり二十六年となります。二十六年というのは本当に長く、六年前はインターネットも誰もが使えるように普及しておらず、現在のように情報をすぐにキャッチ出来ませんでした。そのため病院での機能回復のリハビリも出来ず、約二年間寝たきりの入院生活を送りました。
日本の社会における障害者の在りようを大きく変えたのは一九八一年の国際障害者年でしょう。国際障害者年を契機に障害を持つ人が我々の生き方は我々が作ると主張するようになり、沢山の障害を持つ人が自立をはじめました。障害者の前に我々も人間なんだと声をあげました。障害を持つ人の声は物凄い力、団結力を生み日本の社会を大きく変えました。昨年十月三十日に日本障害フォーラムが「障害者権利条約」の制定に向けて発足しました。 一方リハビリテーションという考え方はどう変ったのか、そしてわたしたち人生の途中で障害を持つものと理学療法士との関係はどのようにあるのか。理学療法士の方もいろんな考えを持って取り組んでおられると思います。取り組む手法はいろいろあっていいと思います。しかし、決して忘れてほしく無いのは、まず目の前にいる人は、自分達と何ら変る事のない人間であると言う事です。障害がある事を不幸に思うのではなく、障害がある事を哀れむのでは無く、障害を持って生きる事になってもその人らしく充実した人生をおくれるよう、機能回復のリハビリだけに捕らわれるのではなく、その人が人として生きていける全ての権利の回復を考える事。その事をしっかり認識した上で機能回復のリハビリに入る事を全ての理学療法士にお願いしたい、途中で障害を持つ事で家族、医者以上に理学療法士や作業療法士とのコミュニケーションをとる時間が多くなります。沢山話をすると、信頼関係も生まれプライベートの相談、身体の相談等をされることがあると思います。その時に決して障害が不幸ではないんだと言う事、人としての尊厳、権利を持つ事の大切さを話せる理学療法士に成って欲しいと願います。 |
過去の「まあ、よんでみて」はこちらから! ご意見・ご感想は下記メールへ! E-mail: disabled@physiotherapist-osk.or.jp ※ スパムメール対策のため「@」を全角で表示しています。 メール作成の際は半角文字に修正の上ご送信ください。 お待ちしております。 |
10号記念です。そこで今回は、私たち理学療法士の仕事を見つめなおすために、「理学療法士に望むこと」をテーマに三人の方に原稿をお願いしました。 3人の方の文章を読んで、理学療法士として最高の技術を提供するのは当然ですが、その人間性も求められていると感じました。 おりしも、第40回日本理学療法学術大会のポスターにかかれている書「人間を感じる」のことばとも重なり、改めて患者さん・利用者さんにしっかりと向き合って仕事をしようと思いました。 |
|